続・完璧主義な親ほど子育てに苦しむ
完璧主義の親に向かって「子育てを難しく考え過ぎないように」というアドバイスがなされることは珍しくない。しかし、完璧主義な親はそのアドバイスによって混迷をさらに深めることになる。
「難しく考える」は齟齬を生じさせる言葉だ。人によって想起するイメージが異なる。「悩む」と同じように使う人もいれば、「複雑に考える」や「深刻に考える」という意味で使う人もいるだろう。「深く考える」という受け取り方をするかもしれない。
「悩む」が「解決せずにあれこれ否定的ことを思い巡らす」ことだとすれば、その反対は「解決するために肯定的な結論を導く」ことになるだろう。
「複雑に考える」の対義は「単純に考える」であり、「深刻に考える」は「思いつきのように軽く考える」と言えるかもしれない。「深く考える」に関しては、「浅慮」の意味となる「浅く考える」となる。
子育てにおける「考える」とは思考に時間軸を加えることに他ならない。自分の未来という時間軸とは別に、子どもの未来という時間軸を思考と認識に組み込む。その過程は「深く考える」という行為そのものだ。
子どもの時間軸は、子どもだけの座標にのみ存在する。人はそれぞれ自分の座標の上で生きると決まっている。親子も例外ではない。かつては子どもであった親がそうであるように、その子どももいつか親から離れていく。
それは親が思い描いたストーリーとは違うものになるかもしれない。子どもは別個の人格である以上、それが道理であり、それを健全と呼ぶ。親が仕上げた綿密な脚本通りに子育てが進んだとしたら、子どもは自分の人生を親のために放棄していることになる。
子どものために生きる親。親のために生きる子ども。親子という縁にはさまざまな形があり、そこには他者の意見が介入する余地はない。しかし、この現実の道理として、自分の人生が思い通りにならないように、誰かの人生も思い通りにすることはできない。その方法で親の不安を消すことはできない。
親の不安を子どもで消そうとするのではなく、親自身が自分自身と向き合い、不安の感情を言語化して自分の不安を消す努力をしてみる。それは子ども時代の辛い記憶と向き合うことになるかもしれない。しかし、その記憶の中の幼い自分を慈しむことが完璧主義を手放すひとつのきっかけになり得る。
2025年6月9日
(了)