子どもを育てることで自分を育て直す
子どもを育てるという経験は、自分と向き合うきっかけを与えてくれる転機となりうる。人によっては人生の特異点と呼べるほどの経験であるかもしれない。自分の弱さや未熟さを突きつけられることによって自己効力感が揺らぐことも珍しくない。
ブラジルの教育者であるパウロ・フレイレは、著作「被抑圧者の教育学」の中で、教育とは教師が知識を注入するものではなく、学び合い、変わり合う対話的プロセスであると説いた。これは子どもも同様に「大人に対する教育の主体」であり、大人も「常に学び直す存在」であることを示唆している。
自分の感情や他者の感情を理解し、その感情に対して適切な方法で調整する能力を情動調整力と呼ぶ。そこにはアンガーマネジメントに象徴される怒りの感情のコントロールや、相手への共感も含まれる。
子どもは親や保育者、教師の情動調整力の状態を敏感に察知して行動化する。親が怒っている時に子どもは無意識に防衛的になったり、教師が焦っていると子どもも落ち着かなくなるのは典型的な例だ。
近年、マインドフル・ペアレンティングが注目を浴びているのは、情動調整力の知見と無関係ではないだろう。マインドフル・ペアレンティングはマインドフルネスの実践を「親子関係」に適用したものであり、親の自己観察にも重きを置いている。子どもに対する自分の内面の反応に気づいたり、自分自身を思いやること。それらはマインドフル・ペアレンティングに欠かせない視点である。
イギリスの児童精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した「アタッチメント理論」によれば、子どもは安全基地となる親との関係性の中で安心感を得て自己を形成するという。つまり、親・保育者・教師が自己制御できているほど、子どもに安定感を与える。この安心感は企業マネジメントでいう心理的安全のことだ。家庭や保育・教育現場における子どもの心理的安全は、今後一層注目されるだろう。
現代の子育てや教育では、かつての「子どもに教える」という発想から、「子どもとの関わりの中で自分も変化する」という知見が主流となっている。子どもは日々驚くようなスピードで成長を遂げるため、大人は置き去りにされたような感情に囚われることも多い。これは空の巣症候群のようなアイデンティティ・クライシスとも無縁ではないだろう。長年、何かの役割や肩書きにアイデンティティを依存していた人が、それを失うことによって自己の空白に直面する。
育てられる立場から、育てる立場へ変わる。それは同時に、自分を育て直す立場でもある。自分自身によって育て直された自分は、新しい気づきを子どもに与えるだろう。それは子どもにとっての育て直しとなるかもしれない。
その相乗効果によって、親や保育者・教育者から攻撃が薄れていく。弱さと未熟さは結果的に自分か他者に対する攻撃へと転じる。完全ではない自分を責めること、思い通りに動かない他者を責めること。いずれも怒りが形を変えた攻撃である。その怒りもまた、弱さと未熟さから生まれた感情が変化したものだ。
成熟の視座は、他者との比較ではなく、昨日の自分との比較にある。弱さや強さは頼りない主観だが、未熟と成熟は揺るぎない客観である。成熟は自分と向き合うこと以外に成し遂げる方法はない。
2025年5月24日
(了)