なぜ人は「分断」するのか|認知が群れるという構造
人は自分と同じ現実を他人も見ていると思っている。しかし実際には、同じ景色を見ていても、見えているものは異なる。
性格や外見が異なるように、認知もまた人によって異なる。異なる現実を見ている。異なる現実を生きている。
それにもかかわらず、自分以外の全員が同じ認知を共有していると錯覚する。この錯覚がすれ違いを生む。
表面上は同じ言葉を使っていても、その意味は一致していない。同じ「正しさ」を語っていても、その前提は共有されていない。だから話が通じない。だから怒りや不安が生まれる。
認知は群れる。人は自分と近い認知に触れるほど安心し、それを繰り返すことで確信を強めていく。やがてその群れの中で「これが正しい」という感覚が形成される。
その正しさは外から見れば単なる一つの認知に過ぎない。しかし内側にいる限り、それは絶対的な基準となる。そして異なる認知は排除され始める。それはときに攻撃へと転じる。こうして認知の分断が生まれる。
群れた認知はやがて閉じる。こだわりや思い込みが強まり、境界線が引かれる。その内側で自己完結し、外側との接続を失う。異なる認知とつながるための共通言語を持たない。
ジム・ローンはこう言った。
“You are the average of the five people you spend the most time with.”
この言葉は、現代では次のように言い換えられるかもしれない。「人は自分が属する認知環境の平均になる」と。
SNSやAI、アルゴリズムが浸透した今、人は無意識のうちに「自分と似た認知」に囲まれる。その結果、世界はますます分断されていく。
そこから離れることはできるのか。完全にどこにも属さないことは難しい。しかし、ひとつの群れに固定されないという選択はある。認知の群れに属さない「余白」を持つことで、異なる群れのあいだを行き来することが可能になる。
それは、不安定さでもある。しかし同時に、自由でもある。
異なる認知のあいだには言語の断絶がある。だからこそ必要なのは、その断絶をつなぐ存在である。異なる認知の言語を理解し、翻訳し、橋をかける者。分断を深めるのではなく、接続を生み出す者。
これからの時代に求められるのは、そのような「翻訳者」である。
2026年4月26日
(了)