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パジャマ姿で授業を受ける生徒たち〜オンライン1on1授業の風景〜

企業コンサルタントとして、心理的安全について研修する機会が増えた。心理的安全という言葉は組織や職場の文脈で使われることが多い。自分の意見を言っても否定されない。わからないことをわからないと言える。失敗しても必要以上に責められない。そんな環境が人の主体性や学習を支える。企業で心理的安全について話せば話すほど、あることに気づくようになった。

──子どもの授業にも、心理的安全が必要なのではないか。

長く子どもたちに授業をしてきた。それでも、生徒を相手に授業をしているだけでは気づかなかったことがある。子どもにとって、安心して学べるとはどういうことなのか。それを考えるようになったきっかけはコロナ禍だった。コロナを機に授業を対面からオンラインへ移行した。当初は必要に迫られて始めたオンライン授業だったが、続けていくうちに、対面授業とは違う子どもたちの姿を見るようになった。

子どもがリラックスしている。

考えてみれば当然なのかもしれない。家庭は子どもにとって最も慣れた物理的空間である。いつもの机、いつもの椅子、いつもの部屋。その場所から画面越しに授業を受ける。教室に入るという行為もなければ、先生と同じ空間に身を置くという緊張もない。画面という物理的な距離が、教え手との心理的な距離まで適度に調整してくれる。

オンライン授業には、対面授業にはない利点がある。移動する必要がなく、子どもは自分の生活空間からそのまま学びに入ることができる。授業が始まるからといって、日常から「勉強する場所」へ大きく環境を切り替える必要がない。いつもの場所、いつもの空気、いつもの自分のままで学ぶことができる。これは利便性だけの話ではない。学ぶことを日常の延長線上に置くという意味で、オンライン授業には大きな意味があるように思う。

対面授業には対面授業の良さがある。教え手が子どもの表情や仕草を直接読み取ることができ、同じ空間を共有するからこそ生まれるコミュニケーションもある。しかし、対面というだけで生まれる緊張もある。先生の表情を読む。先生の機嫌を感じ取る。間違えないように答える。わからなくても、わからないと言いにくい。教え手の関わり方次第では、適度な緊張は簡単に過緊張へ変わる。

もちろん、勉強にはある程度の緊張感が必要だ。問題は緊張することそのものではない。「勉強=緊張するもの」という構図が、子どもの中に出来上がってしまうことにある。勉強するときは身構える。間違えてはいけない。正解しなければならない。先生の期待に応えなければならない。それを繰り返しているうちに、「勉強=楽しいもの」から離れていく。さらに大きな「学ぶ=楽しいもの」からも離れていく。

その点、オンライン授業では、授業と日常との境界が薄い。自分の部屋で授業を受け、授業が終わればそのまま日常に戻る。しかし、その境界の薄さこそが重要なのかもしれない。学ぶことだけを日常から切り離し、特別な時間にする必要はない。日常の中に学びがあり、学びの中に日常がある。その環境は、「勉強しなければならない」から「ちょっと考えてみよう」への心理的な移行を容易にする。

学力とは何だろうと考える。テストで何点取れるか。難しい問題をどれだけ解けるか。もちろん、それも学力の一部ではある。しかし、もっと根っこのところにあるのは、誰からも指示されていない時間に、自分でどれだけ勝手に学ぶかだと思っている。気になったことを調べる。知らない言葉に出会えば意味を確かめる。面白そうな本があれば読む。疑問が浮かべば考える。誰かに「勉強しなさい」と言われなくても、勝手に知識を取り込み、勝手に考え、勝手に世界を広げていく。そこに学力の本質がある。

読書習慣のある子どもの学力が高い傾向にあるのも、読書という行為そのものだけではなく、この構造と無縁ではないように思う。本を読む子どもは、授業を受けていない時間にも学んでいる。誰にも評価されない。点数もつかない。先生もいない。それでも勝手に学んでいる。学びが日常の中に溶け込んでいる。

そう考えると、オンライン授業にはもう一つの意味が見えてくる。オンライン授業は単に「離れた場所から受けられる授業」ではない。学びを日常の中へ戻すことができる授業でもある。学校や塾という特別な場所に行かなければ学べないのではなく、自分がいつも生活している場所でも学ぶことができる。その経験を積み重ねることは、「学ぶ」という行為を子どもの生活の中に溶け込ませていく。

授業とは、子どもに知識を与える時間であると同時に、「学ぶことは怖くない」「わからなくても大丈夫」「考えることは面白い」と感じてもらう時間なのかもしれない。教える技術だけでは足りない。安心して間違えられること。安心して「わからない」と言えること。安心して考え込めること。そして、安心して自分の考えを口にできること。子どもの学びにも心理的安全が必要になる。

オンライン授業をしていると、ときどき画面越しにパジャマ姿の女の子が現れる。自分の部屋で、いつもの格好をして、飲み物を横に置きながら授業を受けている。こちらの問いに笑いながら答え、わからなければ「わかんない」と普通に言う。

その姿を見るたびに思う。

これは心理的安全が具現化された一つの姿なのではないか、と。

パジャマ姿だからといって、学びの質が下がるわけではない。むしろ、身構える必要のない環境だからこそ、素直に「わからない」と言える。間違いを過度に恐れず、自分の考えを口にできる。リラックスしているから学べないのではない。リラックスしているからこそ、学べることがある。

勉強するために緊張する必要はない。学ぶために身構える必要もない。子どもが安心した場所で、安心した状態のまま、知らないことに手を伸ばす。そして授業が終わったあとも、誰にも言われず、勝手に学び続ける。

オンライン授業で画面越しに見るパジャマ姿の子どもたちは、そんな学びのあり方を教えてくれているように思う。

(了)

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