← ブログ一覧へ戻る

子どもの教育と大人の教育をつなぐ〜 個別最適と全体最適のあいだで 〜

一人ひとりを大切にすることは、教育の基本である。その子の性格を理解し、得意なことを伸ばす。苦手なことを支え、その子に合った方法で成長を促していく。同じ年齢であっても理解の速さは違う。興味を持つ対象も学び方も違う。すべての子どもに同じ方法を用いることが、必ずしも公平な教育になるとは限らない。

個別最適とは、その人にとって最も良い状態を考えることだ。しかし、子どもは一人で生きているわけではない。

家庭には家族がいて、学校には友人がいる。社会に出れば、さらに多くの人と関わることになる。自分にとって心地よいことが、相手にとっても心地よいとは限らない。自分にとって都合のよい選択が、集団にとって望ましいとも限らない。ゆえに教育は、「自分らしく生きていい」と伝えるだけでは完結しない。

自分の気持ちを大切にすると同時に、相手にも気持ちがあることを知る。自分の希望を伝えると同時に、他者の希望にも耳を傾ける。自由を求めると同時に、自分の行動が周囲に与える影響について考える。

人は成長するにつれて、自分だけではなく自分を取り巻く世界を視野に入れて判断することを学んでいく。この構造は企業における人材育成にもよく似ている。

企業でも一人ひとりの個性や強みを活かすことが求められる。本人の希望やキャリアを尊重し、それぞれの能力を発揮できる仕事や環境を考えることは人材育成において重要な視点である。

しかし、会社もまた一人のためだけに存在しているわけではない。

自分にとって効率のよい仕事の進め方が、他部署に負担を生じさせることがある。自分の希望する働き方が、同僚の働き方に影響することもある。ある部署にとって合理的な判断が、会社全体から見れば非合理的であることさえある。

個別最適を積み重ねれば、自然に全体最適になるわけではない。だからといって、全体最適のために個人を犠牲にすればよいわけでもない。

「組織のためだから」という言葉によって個人の事情や意思を切り捨て続ければ、人はやがて主体性を失う。自分で考える必要がなくなり、決められたことに従うことだけを学んでいく。それは短期的には組織を動かしやすくするかもしれないが、長期的には自ら考えて行動する人を失うことにつながる。

これは子どもの教育でも変わらない。

家庭や学校の秩序を優先するあまり、「みんなと同じようにしなさい」と教え続ければ、子どもは周囲に合わせることを学ぶ。しかし同時に、自分がどうしたいのかを考える機会を失うことがある。

反対に、「あなたの気持ちが一番大切だから」と本人の希望を常に優先すれば、自分の希望と他者の希望が衝突したときに、それを調整する力を学ぶ機会を失う。

個人だけを見ても人は育たない。全体だけを見ても人は育たない。必要なのは、どちらか一方を選ぶことではなく、そのあいだで考える力を育てることである。

「自分はこうしたい」という意思を持つことは大切である。しかし、そこでもう一つ問いを持つ。

「相手はどう考えているのだろう」

「周囲にはどのような影響があるのだろう」

「みんなにとってはどうなのだろう」

「その中で、自分はどう行動するのだろう」

この問いを持てる範囲が広がっていくことも、人の成長に数えられる。

幼い頃、自分を中心としていた世界は成長とともに広がっていく。自分から家族へ。家族から友人へ。友人から集団へ。集団から組織へ。そして組織から社会へ──。

大人になれば、さらに自分とは異なる価値観や立場を持つ人々と関わりながら、互いの利害を調整し、より大きな全体の中で判断することが求められる。管理職や経営者に求められる全体最適とは、その延長線上にある。

自分がどうしたいかではなく、部下にとってどうか。顧客にとってどうか。他部署にとってどうか。会社にとってどうか。そして、ときには社会にとってどうか。

立場が上がるということは、権限が大きくなることだけを意味しない。自分の判断によって影響を受ける人が増え、その分だけ、考えなければならない範囲が広がることでもある。

ゆえに子どもの教育と大人の教育はつながっている。

子どもには、自分の気持ちを持ちながら、他者の存在について考えることを教える。社会人には、自分の役割を果たしながら、チームについて考えることを求める。管理職には、自部署だけではなく組織全体を見ることを求める。そして経営者には、会社という枠を越えて、その意思決定が社会に与える影響まで考えることが求められる。

そこで広がっているのは、知識の量だけではない。自分が考えることのできる「全体」の範囲である。

教育とは、個人を全体に従わせることではない。全体を個人に合わせ続けることでもない。

自分という個を持ちながら、自分以外の存在を視野に入れ、そのあいだでより良い答えを考えられる人を育てることである。そして、その答えはいつも同じとは限らない。

ときには個人を優先することが全体を守り、ときには全体を優先することが個人を守る。短期的な個別最適が長期的な全体最適を損なうこともあれば、一人を大切にする判断が、結果として組織全体をより良くすることもある。

教育に必要なのは、正解を与え続けることではない。自分にとって何がよいのか。相手にとって何がよいのか。全体にとって何がよいのか──。その複数の視点のあいだに立ち、自分で考え続ける力を育てることである。

子どもにも、大人にも必要なのは、個別最適か全体最適かという二者択一ではない。自分を失うことなく他者を見ること。他者を尊重しながら自分の意思を持つこと。そして、自分と他者を含む、より大きな全体について考えること。

教育とは人を何かに適応させる営みではない。一人の人間が自分という存在を大切にしながら、自分以外の誰かとともに生きることのできる世界を少しずつ広げていく営みの切り口。それは「関わり」という世界の姿の断面図でもある。

(了)

← ブログ一覧へ戻る